研究旅行奨励制度実施報告
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江戸初期 大坂城の「天下普請」 ~福岡藩黒田氏の分担と刻印~
豊臣政権期に築かれた初代城郭が大坂夏の陣で焼失した大坂城は、元和5年に徳川秀忠が以前の大坂城をはるかに凌駕する新しい大坂城を作るよう63藩、64家の大名に命じたことで、10年をかけて再築された「天下普請」の象徴的な城郭である。石垣の再築には全国の有力大名が動員されており、巨大な花崗岩の石材に刻まれた「刻印石」が多数残されている点において、ほかの城郭と比較しても特異である。これらの刻印は、大名家や家臣による石材供出や築造の分担を示すと同時に、幕府の支配構造や普請動員の実態を物語っていると推測できる。したがって、今回の研究旅行では、江戸時代の初期における「天下普請」の代表例である大坂城普請を対象に、石垣における刻印石を分析することを通じて、それらの持つ政治的な意味と大名間における分担構造を明らかにすることを目的としている。また、石垣の構造や加工痕の観察を通して、当時の石材運搬・切り出し技術、施工技術についても考察を行う予定である。特に福岡藩の初代当主である黒田長政は、瀬戸内の小豆島から石を切り出しており、現在も天狗岩丁場をはじめとする6ヶ所の丁場跡が国指定史跡となっている。また、天狗岩丁場には666個の残石が存在し、岩谷地区全体では1600個を超えていることから、400年前の技術や歴史をじかに体験することが可能である。現地では、大坂城及び小豆島の丁場跡の黒田藩担当区に残る刻印石を中心に、種類・数・概寸・加工痕を記録し、図面や記録類と照合することで、刻印分布の特徴と石材流通の実態を示し、最終的に黒田藩の普請分担の内容を、論文の図表・本文へそのまま反映できるようにする。
源氏物語から学ぶ作品の歴史と紫式部
【研究旅行の目的】
① 日本最古の長編物語である「源氏物語」への理解を深めること。
② 作者である紫式部の暮らしと生涯について学ぶこと。
③ 平安時代においての書籍の存在やその流通について調べること。
④ 作中に描かれる建物や風景の歴史を学ぶこと。
⑤ 作品を通して平安貴族の生活、特に女性の生き方や立場について学ぶこと。
【期待される効果】
・作品の背景にある平安時代の生活文化や価値観を学ぶこと。
・作品に登場する地を実際に訪れ、物語の世界と現実の風景を重ね合わせることで、登場人物たちの暮らしを体感すること。
・文字情報だけでは捉えきれなかった細かい情景描写や作者の思い、和歌に込められた意味について理解を深めること。
・平安時代の人々の価値観や暮らし、宗教信仰について学ぶこと。
民俗学者・山口麻太郎と 実業家・松永安左エ門の足跡をたどる
私の故郷である長崎県の離島「壱岐」の文化史を考察するうえで、最も重要な人物である民俗学者・山口麻太郎(やまぐち あさたろう、1908–1984)に着目している。理由として今後、卒業論文における主要な研究対象として位置付ける。
山口麻太郎は、戦前から戦後にかけて活躍した民俗学者であり、民俗学の父と呼ばれる柳田國男に師事し、故郷壱岐の歴史、民俗、考古に関する膨大な資料を、独学かつ体系的な手法で収集・整理し、その成果を『壱岐国史』『山口麻太郎著作集』といった数多くの著作として結実させている。
しかし、戦前・戦後という混乱期を通じて、在野の研究者が自身の活動を継続し、その成果を公刊するためには、経済的な基盤や研究環境の整備に加えて、出版・流通経路の確保が不可欠であった。そこで、山口の研究活動を支えたのが、実業家として「電力の鬼」の異名を持ちながら、茶人「耳庵」としても知られる稀代の文化支援者、松永安左エ門(まつなが やすざえもん、1875–1971)であった。松永は故郷である壱岐の文化財喪失に対する強い危機感を抱き、山口の私設研究機関である「壱岐郷土研究所」の設立と運営に対して、包括的かつ戦略的な支援を提供していた。
本研究は、この二人の「在野の民俗学者と文化人でもある実業家のパトロン」という協働関係を分析し、山口の研究の継続と質の向上に果たした役割、また、壱岐の文化財保護と地域学術基盤の形成に及ぼした影響を明らかにすることを目的とする。
台湾の新石器時代 ~日本の縄文時代との比較~
私は現在日本考古学を専攻しており、これから縄文時代の研究を行おうと考えている。そのため、西南学院大学入学以降、福岡県内だけでなく鹿児島県や甲信越・関東地方にも足を運び、主に縄文土器を中心に学びを深めてきた。今回は台湾に目を向け、日本の縄文時代と同時期の台湾の新石器時代文化を比較し、東アジア的な視点から縄文時代を研究する基礎を準備したい。
今回の研究旅行では、台湾各地に所在する新石器時代の主要遺跡および関連博物館を訪問し、台湾考古学の展開と地域ごとの文化的特徴を理解することを目的とした。芝山巌遺跡は、台湾で最初に発見された新石器時代の遺跡である。柱穴を伴う巨石遺構を観察した。圓山遺跡公園は、貴重な多文化層遺跡であり、その構造と学術的価値について理解を深めた。國立台湾大学人類學系人類學博物館では、台湾の原住民の文化について学んだ。卑南遺跡公園では、卑南文化に属する台湾最大級の新石器時代集落遺跡を見学し、玉製装飾品・土器・石器をはじめとする豊富な出土資料から、当時の社会や生活様式について考察した。また、國立台湾史前文化博物館では、大坌坑文化や卑南文化を中心とした台湾全土の先史時代文化を、土器・石器・装飾品などの実物資料を通して体系的に理解した。さらに、中央研究院歴史語言研究所歴史文物陳列館では、旧石器時代から清代・近現代に至る中国大陸および台湾の資料を見学するとともに、墓葬発掘による出土資料を総合的に確認し、考古資料の編年的・文化的連続性について考察する機会を得た。
また私は昨年度、国際文化学部主催の「戦争をフィールドワークする」のプログラムで台湾を訪れ、いくつかの博物館を見学した。そこでは展示方法において様々な工夫がされていることに気が付いた。今回考古学をテーマとした博物館を訪れるなかで、博物館展示における発掘や保存の方法などの考古学的方法論の応用についても考えた。
研究旅行で台湾の博物館で行われている考古学の展示を見学することで、台湾における展示実践や考古学の方法論を学ぶことが期待できる。
「台湾の新石器時代はいまからおよそ6000年前の西海岸に始まり、2000年ごろまで続いた」(陳 2024:67頁)とされる。その間、各地で様々な文化を形成してきた。今回訪問した博物館や遺跡公園は、大坌坑(Tapenkeng )文化・卑南(Peinan)文化・圓山(Yuanshan)文化・牛罵頭(Niumatou)文化・大湖(Dahu)文化などといった台湾全土の先史時代の展示が行われており、土器・石器・装飾品・集落・墓域構造について焦点が当てられている。台湾新石器時代の考古学の総合的な展示を行っており、見学を通して台湾新石器時代についての総合的な知識の獲得ができる。また、そこで得た知識から縄文時代を比較し、農耕の有無といった生業や、装身具文化・埋葬、文様・製作方法などの特徴から土器・石器について比較して、両者の差異や類似点を考察する。
戦争に関する資料館の展示方法の工夫 ―長崎原爆資料館と広島平和記念資料館の事例を中心に―
この研究旅行の目的は、日本ではどのような手段で、そしてどのような考え方に基づいて「戦争」を伝えてきたのかを調査することである。広島平和記念資料館や長崎原爆資料館など専門施設を訪問し、資料のレイアウトや展示内容を分析することにより、卒論のテーマである共感共苦(他者の苦しみを自分の苦しみとして体感し考える力)が資料館の中でどのように活かされているのか調べる。そしてこれらの資料館の展示方法の類似点などを分析し、資料館側が閲覧者に展示物に対してどのようなイメージを持たせたいのかを考察する。
卒論で児童文学における戦争の伝え方について論じるため、現在行われている戦争体験の継承法や今までの戦争の伝え方などの基礎知識を学ぶことが、今回の研究旅行奨励制度の目的である。
研究旅行を通じて、以下の3点が期待される。
➀広島平和記念資料館や長崎原爆資料館などの専門施設は、戦争に関する基礎知識を学ぶとともに、資料の解説やレイアウトから企画者が戦争に対しどのような認識を持ち、何に重点を置いて伝えているのか、現代日本の戦争に対する価値観を探ることが出来る。
②展示物や館内のレイアウトの中に、どのような共感共苦の力を育む工夫があるか調査することが出来る。
③資料館側の共感共苦の力を生み出す工夫に対して、閲覧者がどのような反応を示しているか実際に見ることが出来る。
オランダにおける地図の情報偏在
本研究旅行の目的は、ICT環境が整備された現代において、地図内の情報がどのような影響・意図を受けて製作されるのか、またそれと同時にどのような情報の偏りが生じるのかを調査することである。公的機関Kadaster製作のOpenmaps、民間企業製作の地図を参照・比較しながら、首都アムステルダムを中心に諸都市でフィールドワークを行い、地図における情報の偏りを調査する。
ICT環境の整備により、OpenmapsやGoogle MapsなどのGISソフトが開発・利用され、カーナビや歩行者ナビとして我々の日常にも応用されている。これらのナビは用途や目的が明確であるため、道を色濃く表示したり速度制限を表示したりなど、情報の偏りが生じている。この偏りは、地図上だけで見て取ることは困難であり、現地を歩くことによってはじめて記載情報の偏りと現況との比較が可能になる。
元来、オランダは低い海岸線が北海に面しており、高潮で多数の死者が出るほどであった。しかし「世界は神が創ったが、オランダはオランダ人が作った」と言われるように、オランダ人は土地を干拓して国を守り続け、発展させてきた。またオランダは貿易において重要な要衝に位置する諸都市を抱えており、運河や港が多く見られる。以上のように、オランダは地図に与える影響として十分な地理的特徴を有しており、これらが地図に強弱をつけて示されていると考えられる。
ベームステル干拓地はオランダ史上初の干拓地であり、その後転用が繰り返され、現在は世界遺産として当時の景観を保っている。その特徴として建造物と農地とが理路整然と区画されており、この場合は地図上ではどのように示されるのかを調査することで、世界遺産として生きる農地は交通などの人工的な要素を強調するのか自然文化的な要素を強調するのか地図製作側の意図と思惑が読み取れるであろう。
ワールハーヴェンやユーロポートは商業的な港である。これらの港をOpenmapsと民間製作地図を参照・比較することで、どのような情報の偏在が見られるのか調査することができ、どのような観点からこれらの港が地図的に重要か読み取れるであろう。
水利防塞線群は、かつて他国からの侵略に抵抗するために建造された要塞である。水辺に建造することで、オランダ側は有利な地形を生かして自らの国土を守ろうとした。水利防塞線群がオランダとって未だ重要であるか、地図を参照・比較することで読み取れるであろう。
“異文化”混交のシチリア研究 ―教会建築・装飾における多文化性の現地調査―
この研究旅行では、①聖カタルド教会の詳細な現地調査を行い、特に、上記研究者ディ・リベルト氏による論考のポイントを網羅的に観察・確認しながら、建築と装飾に関する学問的データ収集を行う。また、➁聖カタルド教会とほぼ同時代に帰属する、11~13世紀のパレルモ市内の聖堂、および、パレルモ近郊都市モンレアーレ、チェファル、さらに、イタリア半島南部プーリア州などに点在する複数の聖堂に関してフィールドワークを実施しながら、聖カタルド教会と同様の建築的要素を含む建造物との比較検討を行う。これらの現地での研究調査活動を通して、問題の聖カタルド教会の異文化混交的特徴とその独自性を、より顕著に浮き彫りにしたい。以上、➀と➁の2点が、本研究旅行の主な目的である。
多文化社会における「マイノリティ」の表象の在り方
本研究旅行の目的は、移民国家の代表ともいえるアメリカ合衆国の首都、ワシントンD.C.にある国立博物館や民間からの寄付で設立された博物館をめぐり、エスニック・マイノリティ(以下「マイノリティ」)の歴史文化がどのように表象されているかを調査することである。
アメリカ国立歴史博物館では、アメリカ国内外に対してアピールする「正式なアメリカ史」を、国立アフリカ系アメリカ人歴史文化博物館や国立アメリカ・インディアン博物館といった特定のマイノリティに焦点を当てた「エスニック博物館」においては、国としての表象の在り方を調査した。
これらの国立博物館の設立の背景には、20世紀後半まで実社会だけではなく博物館の世界においても、マイノリティの存在が無視・歪曲されていたという歴史的事実がある。それに伴い、白人支配層が伝統的に主導してきた博物館では、マイノリティに対して「劣等」「野蛮」のイメージを想起させる展示を行ってきた経緯がある。これを踏まえ、現在では国立博物館という「公式の場」において、マイノリティの存在がアメリカ史の中にどのように位置づけられ、またどのように表象されているのかについて調査した。
これに加え、同じくワシントンDCにあるホロコースト記念博物館での展示調査を通じて、アメリカ合衆国におけるユダヤ人理解についても考えを深めた。最近のパレスチナ情勢を巡り抗議運動が盛り上がる中で、世界最大のユダヤ人人口を抱えるアメリカ合衆国において、その歴史的理解を巡る展示のあり方を考えることは、本研究旅行の目的に十分に合致するものといえよう。
昭和レトロの比較研究
近年、「昭和レトロ」が流行しており、それは昭和時代を生きていない若者にも親しまれている。そして、昭和時代の情景を再現した観光地やテーマパークは日本各地に存在し、多くの人々がそこに訪れている。
昭和をコンセプトに設立した施設は大きく分けて二つの特徴に分けられる。一つ目は、歴史的な建築物などが何もない状態から昭和時代の舞台を再現し、人を集客することを目的とする商業施設、二つ目は、歴史的・文化的価値のある建築物や展示品を保存・展示・継承することを目的とする博物館及び文化施設である。
本研究の目的は、それぞれの施設の特徴や建築物、展示品を調査・分析し、屋内施設・屋外施設での違いなど、あらゆる点で比較することで、同じ「昭和」を形成していった中で、なぜ差異が生じたのかについて考察することである。また、施設にどういった工夫が施されているのかを明らかにしつつ、訪れる人々が昭和時代の何に魅力を感じているのかについても考察する。
私たちは難民支援とどう関われるのか ~日韓比較を通じて韓国でのNPO団体・pNanの方々から学ぶ~
他国に避難してきた人を難民だと判断するかしないかの難民認定は、本来は事実の認定法律の枠組みによる判断においてのみ行われるべきだが、実際には各国の政治的な判断によって、その基準などが変えられることが実状である。つまり絶対的な基準はなく、人道と政治の狭間で揺れ動き、時代によって、また国によって変わることがあるのだ。そんなとき、政府では救いきれない難民に様々な方法で支援をしているNPO団体が様々な国にある。そうした団体のひとつpNan(在ソウル)を訪問し、支援方法やその範囲について学びたい。
私は日本の大村入管を訪れた時、自分の無力さを突き付けられた。難民支援をしていく中で、その様なことを経験すると思うが、そのときに職員の方はどのように考えるのか。難民支援を使命として働いている方の生の声を聴きたい。そして自分で深く考え、今後の研究の参考にしたいと考える。
