研究旅行奨励制度実施報告
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江⼾時代の越中富⼭売薬
富⼭の薬売りの始まりは「江⼾城腹痛事件」と⾔われている。これは江⼾城内で、突然激しい腹痛に⾒舞われた三春藩の藩主である秋⽥輝季に富⼭藩⼆代藩主の前⽥正甫公が常備していた反魂丹を与えたところ、たちまち痛みは治まったという事件である。噂を聞いた諸藩の⼤名たちがそれぞれの領内で売薬を依頼したことによりこの薬が名を馳せることになった。当時⾼価だった薬を「先⽤後利」と呼ばれる、先に薬を預け、後から利⽤した分だけの代⾦をもらい、新しい薬を補充する販売⽅法で富⼭の薬は全国に販路を広げていった。そこで当時の配置薬はどのような箱に⼊れられ、どのように運ばれたのか、実際の資料を⾒て体験してみたいと考える。また、どのようにして富⼭から全国各地へ薬を届けていたのか、地理的条件から調べてみたいと考える。前⽥正甫公が持っていた反魂丹が全国に広がったのは有名な話だが、なぜ前⽥正甫はよく効く薬を作り、持っていたのか調べたい。また明治時代に⼊ってきた⻄洋医学にも劣らなかった理由を史料から考察する。さらに、配置薬販売業者は訪問先に薬を渡すだけでなく、産物や地域の様⼦などの情報を他の地域紹介する役割を担っていたようだが、具体的にどのような物が産物とされ、どのような情報を仕⼊れ、他の地域に渡していたのか興味があるので明らかにしたい。また、この働きで富⼭はどう変
化したのかを明らかにしたい。
グリーンツーリズムによる⼈々の交流や地域資源の活⽤
⽬的は、戦後の⻄欧社会を発端とし、滞在型余暇活動として⽇本でも社会的関⼼が⾼まっているグリーンツーリズムの多⾓的な活動や地域資源の活⽤を調査することである。また、この調査では、現地体験とともに地元の⽅々のお話を伺った。
私が今回調査対象として選んだのは、⽇本の農泊(グリーンツーリズム)発祥の地である⼤分県安⼼院町(あじむまち)である。安⼼院町では、「NPO法⼈安⼼院町グリーンツーリズム研究会」が中⼼となって活動を⾏っている。
特に、NPO法⼈の活動を通して、[1]安⼼院町での農泊、[2]研修プログラム(講話)、[3]外国
とのつながり(ヨーロッパ研修・外国⼈観光客)に注⽬して調査を⾏った。
テーマパーク建築における建築の意匠とその効果 ―リトル・マーメイドとマーメイドラグーン―
本研究の⽬的は、⼩説や映像作品等を元に制作された三次元の装飾が持つ機能やその意図について考察することである。マーメイドラグーンの装飾を写真や動画のみで観察・研究することは不可能であるため、現地で実物を直接観察あるいは体験し、分析のための資料として撮影することで研究対象への理解を深め、新たな視点からの独⾃の考察を提⽰することを本研究旅⾏の⽬的とする。
対⾺における⽇韓交流の礎と実態を探る ―朝鮮通信使を中⼼として―
古代より⾏われていた⽇韓の交易だが、豊⾂秀吉による朝鮮侵略後、⽇本は朝鮮との国交を断絶する。江⼾時代になり、朝鮮との国交回復をはかるべく⽇本側から韓国側に派遣を打診し始まったのが朝鮮通信使である。1607年から1811年までの約200年の間で12回に亘って来⽇し、主に⽇本の将軍襲職祝賀や⽂化交流を⾏うなど⽇本と朝鮮の友好関係の維持を担い、対⾺藩は江⼾幕府と朝鮮王朝の仲⽴ちとなっていた。朝鮮通信使を通して朝鮮から⽇本へ絵画や書、医学などが伝わった中で、⽇本から朝鮮に持ち帰られ現在にも残っているものがあることに興味を持った。1764年に来⽇した朝鮮通信使の正使趙厳が持ち帰った「サツマイモ」はその⼀つで、「고구마(読み:コグマ、意味:サツマイモ)」という韓国語は対⾺の「孝⾏芋」が訛って呼ばれるようになったとされている。これらのことから、対⾺における朝鮮通信使の歴史や⽇朝⽂化交流の証と⾔えるサツマイモについて卒業論⽂の執筆を⾏う中で、現地調査する必要を感じたため研究旅⾏を⾏う。
アメリカにおける独立と建国の歴史認識を探る―アメリカ四都市を巡って―
本研究旅行の目的は、単にアメリカ建国の歴史についての知識を増やすことに留まらず、アメリカ合衆国やその社会が独立革命・建国の歴史をどのように記憶し、伝えようとしているのかを調査することである。すなわち、アメリカ合衆国の建国史を巡る歴史理解のあり方それ自体を対象化し、調査することが本研究旅行の主眼となる。