研究旅行奨励制度実施報告

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多文化社会における「マイノリティ」の表象の在り方

本研究旅行の目的は、移民国家の代表ともいえるアメリカ合衆国の首都、ワシントンD.C.にある国立博物館や民間からの寄付で設立された博物館をめぐり、エスニック・マイノリティ(以下「マイノリティ」)の歴史文化がどのように表象されているかを調査することである。
アメリカ国立歴史博物館では、アメリカ国内外に対してアピールする「正式なアメリカ史」を、国立アフリカ系アメリカ人歴史文化博物館や国立アメリカ・インディアン博物館といった特定のマイノリティに焦点を当てた「エスニック博物館」においては、国としての表象の在り方を調査した。
これらの国立博物館の設立の背景には、20世紀後半まで実社会だけではなく博物館の世界においても、マイノリティの存在が無視・歪曲されていたという歴史的事実がある。それに伴い、白人支配層が伝統的に主導してきた博物館では、マイノリティに対して「劣等」「野蛮」のイメージを想起させる展示を行ってきた経緯がある。これを踏まえ、現在では国立博物館という「公式の場」において、マイノリティの存在がアメリカ史の中にどのように位置づけられ、またどのように表象されているのかについて調査した。
これに加え、同じくワシントンDCにあるホロコースト記念博物館での展示調査を通じて、アメリカ合衆国におけるユダヤ人理解についても考えを深めた。最近のパレスチナ情勢を巡り抗議運動が盛り上がる中で、世界最大のユダヤ人人口を抱えるアメリカ合衆国において、その歴史的理解を巡る展示のあり方を考えることは、本研究旅行の目的に十分に合致するものといえよう。

昭和レトロの比較研究

 近年、「昭和レトロ」が流行しており、それは昭和時代を生きていない若者にも親しまれている。そして、昭和時代の情景を再現した観光地やテーマパークは日本各地に存在し、多くの人々がそこに訪れている。
 昭和をコンセプトに設立した施設は大きく分けて二つの特徴に分けられる。一つ目は、歴史的な建築物などが何もない状態から昭和時代の舞台を再現し、人を集客することを目的とする商業施設、二つ目は、歴史的・文化的価値のある建築物や展示品を保存・展示・継承することを目的とする博物館及び文化施設である。
本研究の目的は、それぞれの施設の特徴や建築物、展示品を調査・分析し、屋内施設・屋外施設での違いなど、あらゆる点で比較することで、同じ「昭和」を形成していった中で、なぜ差異が生じたのかについて考察することである。また、施設にどういった工夫が施されているのかを明らかにしつつ、訪れる人々が昭和時代の何に魅力を感じているのかについても考察する。

私たちは難民支援とどう関われるのか   ~日韓比較を通じて韓国でのNPO団体・pNanの方々から学ぶ~

他国に避難してきた人を難民だと判断するかしないかの難民認定は、本来は事実の認定法律の枠組みによる判断においてのみ行われるべきだが、実際には各国の政治的な判断によって、その基準などが変えられることが実状である。つまり絶対的な基準はなく、人道と政治の狭間で揺れ動き、時代によって、また国によって変わることがあるのだ。そんなとき、政府では救いきれない難民に様々な方法で支援をしているNPO団体が様々な国にある。そうした団体のひとつpNan(在ソウル)を訪問し、支援方法やその範囲について学びたい。
私は日本の大村入管を訪れた時、自分の無力さを突き付けられた。難民支援をしていく中で、その様なことを経験すると思うが、そのときに職員の方はどのように考えるのか。難民支援を使命として働いている方の生の声を聴きたい。そして自分で深く考え、今後の研究の参考にしたいと考える。

北海道のアイヌ民族について ―「ゴールデンカムイ」をはじめとするメディアの影響

今回の研究旅行の目的は、野田サトル氏の「ゴールデンカムイ」や川越宗一郎氏の小説「熱源」をはじめとした作品が大きく話題になったことから、近年様々な角度から注目を集めている北海道のアイヌ民族の歴史や現在まで続いている文化についての調査を行うことである。
今回、主に調査を行ったのは、現地の博物館や記念館である。アイヌ民族は文字を持たない民族であるため、文化や生活がアイヌの手で記されている文献がほとんどない。そのため、北海道にあるアイヌ文化を主軸とした展示のある博物館や現在も残っているアイヌ民族の集落(コタン)を訪れ、アイヌが使用していた道具や民族衣装の実物やアイヌの伝統芸能など文献では知りえない文化を実際に目にすることでよりアイヌ文化に対する理解を深めた。

「クィア」を考える ―現代フランスにおける大衆への表象について―

今⽇のフランスでジェンダーにまつわる事象がどのように表象されているかについて、市⺠の視点から調査する。
現代フランスのメディアで同性愛やジェンダーレスを前⾯に押し出した表象物(例えばジェンダーレスな⾐装やメイクなどで知られるモデルSofia Steinberg、同性愛を前⾯に押し出したモデルPierre Amaury Crespeau、ファッションブランドDIOR の広告など)をよく⾒かけるが、先⽇ミュシャ展で商品的・性的対象としての⼥性イメージを強く押し出した作品を閲覧し、両者のギャップに驚いた。フランスは⽇本に⽐べて「クィアなもの」に寛容であるように感じられるが、実際のフランスの現場におけるジェンダーの表象についてその特徴を調査する。

2023 保田美波・松尾燎成

古平町・積丹町における例大祭の比較と特徴--古平町恵比寿神社例大祭の事例を中心に 

生身の人間が燃えた後の灰の上を渡る火渡り神事は全国各地で見ることができるが、天狗の格好をした猿田彦が3mを超える大きさの炎の中に飛びこむ独特な形態の火渡り神事があるのは古平町と積丹町だけである。準備期間に町の何人が準備に関わり、人口減少と高齢化による問題点とその対策等を聞き取りし、実際にこの目で確かめ、祭りの苦労を知ることが目的である。また今回は、開催時期の関係上、古平町恵比須神社例大祭の開催者・参加者への聞き取り調査を中心に分析を行った。

2022 中島咲良・中⻄玲奈

卓袱料理から⾒る和華蘭⽂化

私たちが⽣まれ育った⻑崎は、異国情緒あふれる街だ。⻑崎県には他県にはない独⾃の⽂化が存在している。それは「和華蘭⽂化」というものだ。この⾔葉は馴染みのあるものだが、その実態はあまりよく知られていない。この⽂化の代表の⼀つとして「卓袱料理」がある。多くの国の⽂化の影響を受けている⻑崎県は鎖国時代に唯⼀開けていた貿易港だった。そこで取引していた中国とオランダとの交流の歴史、貿易から「和華蘭⽂化」の始まりを、それぞれ学んでいる⽂化コースを活かして調べる。そして実際に⻑崎で「卓袱料理」を体験することによって新しい発⾒をすることを⽬的とした。

中原中也は宮沢賢治に何を見たのか__詩の生まれた場所を訪れて

中原中也、宮沢賢治は、ともに戦前の近代詩に重要な影響を及ぼした⼈物であるとともに、国語の教科書で扱われるなどして、今なお多くの⼈々に読み継がれる作品を遺した⼈物である。彼らは共に、豊かな才能を持ちながら、早くして亡くなったが、同時代を⽣き、影響を与えていた。この点は、⾮常に興味深い点である。賢治は、⽣前注⽬されることはほぼ無かったが、中也はその魅⼒に早くから気がつき、⼗年来愛読1し、何冊か買っ
て、友⼈の所へ持って⾏き2、賢治の死後まもなく、全集が発表された際には、「私⾃⾝が無名でさへなかつたならば、なんとかしたでもあつたらうけれど3」と述べるほど熱⼼に読んでいた。その⾔葉からも読み取れるように、中也が詩⼈としての道を決意し、様々な代表作を送り出すようになるよりも以前、創作初期の段階から、中也は賢治の作品に出会い、その影響を⼤きく受けていたことが分かる。
今回、研究旅⾏を通して、中也は賢治のどのような部分に惹かれ、影響を受けていたのか、実際に現地を訪れ、その⾯影と様々な資料に触れることで、⾃分の⽬で確かめたいと考えた。作品のモチーフになった場所を、⾃分の⾜で歩くことによって、彼がどのような思いで創作に向かっていたのか、理解する⼿助けになるのではないかと考える。また、「中原中也を読む会」に参加したり、学芸員の⽅にお話を伺ったりすることによって、より理解を深めると共に、彼の詩がどのように⼈々に受け容れられているのか確かめたい。

「米粉」と新たな食の融合、また大衆化について

⽶粉は本来⽇本の伝統的な菓⼦に使⽤されてきた。⼩⻨は、パンやパスタ、ピザなどの洋⾷や洋菓⼦に多く使⽤されており、⽇本国内でも⼤変親しまれているが、最近、ウクライナ情勢や円安により、⼩⻨の価格が上昇している。しかし、⼩⻨の価格は国際情勢に⼤きく影響されてしまい、それはそのまま私たちの⽣活に影響を与える。⽇本国内で1年間に消費されている⼩⻨のうち国内産はわずか13%であり、近年、⼩⻨の代替として⾃給率が⾼い米を精製した「⽶粉」が注⽬され、政府も国を挙げて、国内外における⽶粉の普及を推進している。本研究は、国内外で⽶粉を販売する企業、および⽶粉を使⽤した⾷品を提供するレストランや菓⼦店を訪問し、⽶粉に関する事業展開の現状と課題を調査し、それらの意義について考えることである。

⾹椎宮を訪れた天皇の遣い「勅使」について−−−全国の勅祭社と⽐較して

実家の近所にある⾹椎宮には10年に1度、天皇が派遣する使者「勅使」が参向する。『続⽇本書紀』によると最初に⾹椎宮に勅使が参向したのは天平5 年(737年)で、その後伏⾒天皇の御代には戦乱のために中断されたが、延享1年(1744年)に再興されて以来は、60年に1度、⼤正14年(1925年)以後は10年ごとが勅使参向の年になった。⾹椎宮のホームページでは、これまでに勅使が参向した回数は108 回とされている。勅使が参向したときに⾏われるのが勅祭で、これが⾏われる神社は伊勢神宮を始め、全国に17社しかないため、⾹椎宮は⼤変貴重な神社である。その事実を⾹椎宮について調べる中で初めて知った。
そこで今回の研修旅⾏の⽬的は、勅祭が⾏われる神社の中で最も格式が⾼いとされている伊勢神宮がある三重県、全国に17 社ある勅祭社のうち近畿地⽅にある7 社の上賀茂神社、下鴨神社、平安神宮、橿原神宮、春⽇⼤社、⽯清⽔⼋幡宮、近江⼋幡宮、そして勅使発遣の儀が⾏われる宮内庁がある東京都を訪れることで、現地の⼈々にとって勅使はどのような存在で、勅祭はどのような儀式であったのか、勅使として訪れたのはどのような⼈々であったのかを多⾯的に調査し、⾹椎宮との共通点や相違点を⾒つけ出すことである。また、交通網が発展した現在は勅使の移動はもちろん楽になったはずだが、当時は相当な時間と費⽤を費やしたに違いない。そのような点についても、実際にそれぞれの勅祭社に⾜を運び調査を進めたい。そして、今後研究していきたいと考えている、江⼾時代に⾏われた⾹椎宮の勅祭での⿊⽥藩の対応や⾹椎の⼈々の対応に関して、⾃分なりの仮説を組み⽴てる⼀歩にすることを⽬的とする。