教員紹介

西脇 純

表紙画像:ネウマ譜で記されたグレゴリオ聖歌の写本(922-5 年頃,スイス・ザンクトガレン修道院図書館蔵)

ゼミのテーマ

ことばと音楽:キリスト教音楽からヨーロッパ文化を読む

 2019 年以降のCOVID-19 の感染拡大によって多くの方が亡くなり,世界経済と人々の生活は大きなダメージを受けました。今なお世界中でこの危機を脱する道筋への模索が続いています。この苦境下にいち早く国としての芸術家支援の方針を打ち出した2020 年5 月のアンゲラ・メルケル首相のメッセージや,同じ月にドイツの日刊紙ターゲスシュピーゲルに掲載されたモニカ・グリュッタース文化・メディア大臣のインタビュー記事は,芸術を重んじるドイツの人々の矜持を内外に強く印象づけました。特にグリュッタース大臣が芸術を「人間の生存という根本的な問題に向かい合う上で不可欠なもの」「確実性が崩壊し,社会的基盤の脆さが露呈し始めている(今の)時代には欠かせないもの」と表現したことは大きな話題になりました。このインタビューのなかでグリュッタース大臣は,「民主主義は健康であっても一種の人工呼吸を必要としており,芸術の自由は生存に必要な酸素を民主主義に供給してくれる」とも述べています(引用はゲーテ・インスティテュートのウェブページより)。芸術のもつ想像力や問題提起能力が民主主義の維持に不可欠であるとして,ここに国が芸術家を支援しなければならない根拠をみたのでしょう。
 翻って宗教のあり方に目を向けてみると,「生存にとって不可欠である」という点で,キリスト教と芸術の間にも同様の関係が成立すると思われます。キリスト教にとっても芸術は不可欠なのです。どういう意味でしょうか?ここでは礼拝音楽に絞って考えてみましょう。
 人類は常に音楽とともにあったといえますが,なかでも人智を越えた存在もしくは超越的な境地を肯定する宗教は,その根拠となる存在(神)との交流を音楽を通してはかったり,あるいは音楽を通して宗教上の究極の境地に近づこうとしてきました。その結果,世界にさまざまな宗教音楽が生み出されることになりました。中東に発祥しヨーロッパで独自の展開を遂げたキリスト教においても,当初からミサなどの礼拝儀式のなかに音楽,とりわけ歌唱が積極的に取り入れられ,奨励され,多くの聖歌がつくられてきました。もちろん,最初は教会の規模も小さく信者のなかでも余裕のある人の家の一室が礼拝集会の場となったのですが,ささやかではあってもキリスト教の集いには常に歌が伴ったようです。新約聖書の次の勧めからも当時の集会の様子をうかがうことができます。

「霊に満たされ,詩編と賛歌と霊的な歌によって語り合い,主に向かって心からほめ歌いなさい。」(エフェソ
書5:19)
「キリストの言葉があなたがたの内に豊かに宿るようにしなさい。知恵を尽くして互いに教え,諭し合い,詩
編と賛歌と霊的な歌により,感謝して心から神をほめたたえなさい。」(コロサイ書3:16)

 弁論術や修辞法が重んぜられた古代社会においては,もともと語りと歌唱との境はあいまいで,公けの場,つまり公同礼拝の場での聖書朗読や祈祷は,リズムや旋律を伴い,まるで歌っているかのように行われました。とりわけ神に感謝し賛美する場合には,その「語り」のリズムや旋律がいっそう高揚したであろうことは想像に難くありません。礼拝のなかで聖書朗読を聴き,ともに祈り,神に賛美と感謝をささげることは教会の存亡に関わる大事と考えられてきましたから,こうした教会活動が活発になったところで音楽,とりわけ歌唱が充実していったのも当然でありましょう。新約聖書自身にも,たとえばフィリピ書の「キリスト賛歌」など,典礼の場で披露されたと推測できる賛歌が幾つも引用されています。キリストが世の救い主であるとの告白と,彼のことばとわざ,すなわち福音の告知がキリスト教の生存にとって不可欠だったからこそ,それらを語る調べ,すなわち音楽もまた不可欠であったのです。
 このようにみてくると,キリスト教の音楽は本質的に「ことば」と結ばれた音楽だということがわかります。新約聖書ではキリストは「ロゴス(ことば)」とさえ呼ばれているのです。「ことば」は,キリスト教やキリスト教の基盤のうえに発展してきたヨーロッパ文化を読み解く鍵言葉のひとつといえるでしょう。
 そこで私のゼミでは,キリスト教音楽という大枠のなかで,ことばと音楽の関係について考えてゆきたいと思います。ゼミは,ことばと音楽の関係性やキリスト教音楽全般を扱う基本文献をドイツ語で読みながらディスカッションを重ねるというスタイルをとります。このためドイツ語履修がゼミ選択の前提条件となります。どうして英語以外の文献を扱うかというと,ヨーロッパ文化を知るためにはヨーロッパの言語で学ぶことが大きな助けになるからです。もちろん英語以外の言語は大学に入って初めて接するという方が大半かと思います。私自身もそうでしたし,英語も含め今でも苦労しています。ですから,ともに外国語の習得に苦労する仲間として,ドイツ語はゆっくり丁寧に読み進めてゆきたいと思います。たった一行であれ理解したかった事柄が理解できれば喜びもひとしおでしょう。
卒業論文は,ヨーロッパの宗教音楽(時代や教派は問いません)の精神性に関わるテーマを各自自由に選び日本語で執筆してください。例えば賛美歌などことばを伴う宗教音楽作品をひとつ選び,そのテキストを分析するということも考えられます。卒業論文のテーマが明確に決まっている方は,ご自分のテーマがゼミで扱う文献から何を学べるかを考えてください。まだ絞りきれていない方は,ゼミ文献に取り組みつつゼミのディスカッションを通して見定めていってください。音楽を糸口としてヨーロッパ文化の深層へと分け入ってゆく道にともに一歩踏み出しましょう。

履修希望科目

 ドイツ語は必ず履修しておいてください。キリスト教の成り立ちを扱う「地中海宗教文化論A」とグレゴリオ聖歌を紹介する「地中海宗教文化論B」の履修も助けになるでしょう。

自己紹介

 幼少から教会で聖歌に親しんできたためでしょうか,キリスト教の典礼と音楽に興味があります。大学院では古代教父を学び,博士論文は4 世紀のミラノ司教アンブロシウスの典礼神学をテーマに執筆しました。最近は西洋音楽のルーツといわれるグレゴリオ聖歌を神学の立場から研究しています。グレゴリオ聖歌は今なお修道院の典礼で歌われる生きた宗教音楽ですが,西洋音楽史やキリスト教史上でも重要な位置を占めています。それはこの音楽が無伴奏かつユニゾンで演奏されてきたことと関係があるでしょう。声の「響き」がもっとも純粋に「(聖書の)ことば」と向き合う道をこの音楽は選んだのです。ここから「語りの芸術」としてのグレゴリオ聖歌が生まれました。語られたのは聖書に基づくキリスト教の教えですから,グレゴリオ聖歌はキリスト教思想の生き生きとした担い手であるともいえます。

 私の生まれは,東海道五十三次の宿場町,焼き蛤で有名な三重県の桑名市です。中学3年から高校3年までの4年間を長崎で過ごしました。当時来日したローマ教皇ヨハネ・パウロ2 世に浦上天主堂で頭をなでてもらったことを憶えています(群衆の波に呑まれ,いつのまにか最前列に押しやられてしまったおかげです)。その後,大学や留学や仕事で名古屋,ドイツ,東京で暮らし,このたび久しぶりに九州に戻って皆さんと同じ西南学院大学の1 年生になりました。前任校ではキリスト教の合唱音楽をメインレパートリーとする学生聖歌隊「聖歌隊 南山大学スコラ・カントールム」の創設にかかわり学生と一緒に歌っていました。西南でもご一緒させていただく機会があればうれしいです。
最近,大胆にも自分の名前のドメインを取得,WordPress でウェブサイトを立ち上げました。続くかどうか心配です。散歩も大好きです。自宅から5 分ほどで生の松原海岸森林公園に出ます。ここから汐風にあたりながら小戸公園にかけてゆっくり歩く道のりが目下のお気に入りコースです。糸島方面に沈む夕日は格別です。散歩の延長で喫茶店巡りをしたり,Netflix でアニメや映画を観るのも大好きです。

読書案内

■金澤正剛『キリスト教音楽の歴史:初代教会からJ.S.バッハまで』(日本キリスト教団出版局,2005 年)
日本キリスト教団出版局の記念碑的なプロジェクト『CD で聴くキリスト教音楽の歴史』(皆川達夫監修,金澤正剛・川端純四郎編集,CD 50 枚組,解説・歌詞対訳全2 巻,2001 年)に編集委員として関わった著者が,キリスト教音楽の通史として世に送り出した労作です。CD プロジェクトにも多彩な執筆者による各楽曲の詳しい解説や歌詞対訳がありますが,キリスト教音楽の発展史(ただし西方教会の音楽)を辿ることのできる一書として貴重です。

多くの日本人にとってキリスト教はまだまだ馴染みのない宗教といえます。以下,キリスト教音楽が前提としている聖書や教義や思想などの知識を得たいと考える皆さんにお薦めの本をご紹介いたします。

■若松英輔『イエス伝』(中央公論新社,2015 年)
日本を代表する批評家の心に刻まれた「私のイエス」が描かれています。「私のイエス」でありながら「誰の前にも心を開く人物」(あとがき)でもあるイエスを,著者自身の経験や幅広い知識を織り交ぜつつ現代の日本に住むわたしたちにわかりやすく紹介してくれる良書です。

■若松英輔・山本芳久『キリスト教講義』(文藝春秋,2018 年)
中世哲学者で若松氏の長年の友人でもある山本芳久氏との対談。聖書をはじめ神学者や文豪や思想家の味わい深いことばを数多く引用しながら,キリスト教の本質に迫ろうと対話が繰り広げられます。「キリスト教とは何か」「愛」「神秘」「言葉」「歴史」「悪」「聖性」の全6 章で構成されていますが,どの章からでも読み進められます。巻末の「ブックリスト」での一冊一冊丁寧に紹介する行き届いた配慮とともに,キリスト教学への良き導き手となっています。

■アリスター・E・マクグラス著,芳賀力訳『新装増補改訂版 神学のよろこび:はじめての人のための「キ
リスト教神学」ガイド』(キリスト新聞社,2017 年)
オクスフォード大学での講義経験をもとに執筆されたキリスト神学への基礎的入門書です。筆者自身は本書をキリスト教神学の「ソムリエ」と呼んでいます。分子生物学で博士号を取得した科学者としての経歴の持ち主でもあることから,伝統的な使徒信条の箇条に沿って構成されているものの,客観的で信頼の置ける記述が全編を貫いています。各章ごとにテーマを掘り下げるための小さな課題が添えられています。巻末に用意された「索引」「神学用語略解」「神学者紹介」も有益です。

■鈴木範久・月本昭男・佐藤研・菊地伸二・西原廉太『知の礎:原典で読むキリスト教』(聖公会出版,2006年)
高校や大学での授業を念頭に編まれた資料集ですが,通読することもできるよう,それぞれの原典資料に解説が付されています。「旧約聖書の思想と信仰」「新約聖書と初期キリスト教:「ユダヤ教イエス派」の誕生からカトリック体制の成立まで」「中世とキリスト教」「宗教改革とキリスト教」「近・現代とキリスト教」「日本のキリスト教」の全6 章で構成されています。

■黒川知文『西洋史とキリスト教:ローマ帝国からフランス革命まで』(教文館,2010年)
さまざまな大学で講じた西洋史の講義ノートにもとづく書き下ろしに著者の論文なども加えて執筆されたキリスト教史の教科書です。「西洋キリスト教史に関する私の研究集成でもある」(おわりに)とあるように,コンパクトながら要所で独自の分析を展開しています。図版や表も豊富でわかりやすく,各章ごとにテーマに関わる参考文献も紹介されています。

■クラウス・リーゼンフーバー著,村井則夫訳『中世思想史』(平凡社ライブラリー,2003年)
キリスト教音楽の精神的背景を知るためには,古代から中世にかけてのキリスト教思想に接する必要があります。本書は平凡社の企画『中世思想原典集成』(上智大学中世思想研究所編,全21 巻,1992-2002 年)の別巻として公刊された『中世思想史/総索引』に,新章「近世への移行」などを加筆して新たに平凡社ライブラリーから出版されました。タイトル通り,個別の哲学者の思想を掘り下げるというよりも,要点を押さえつつ思想史,文化史として読めるよう工夫が凝らされています。ぜひ手に取って読んでみてください。

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